2007年04月03日

ドアのむこうへ

そこは雑居ビルの五階だった。
排気ガスが混じった風が下からふきあげてくる。
吸い込むと、肺はじとじとしてくるようで、ますます気を重くさせた。

ドアのまえを何度かやりすごした。刺青を入れた恐ろしい男が、
むこうにたくさん待ちかまえている気がしたのだ。
あれほど強く決心したのに、人の心はどうしてこんなにもろいのだろう。
でも、帰りの金はない。どちらにしても、やるしかないんだ。
やれ。自分の弱気をひねりつぶすようにブザーを強く押した。
私の飯場生活はここからはじまった。

「はい」
電話で聞いた声がして、緊張で体がかたくなる。
「さっき電話しました、名堀ですけど」
 ドアを開けたのは色白の短髪で、寿司職人のような男だった。
 三十代半ばくらいだろうか。
つり目だが、柔和な顔だったので、
 ぴんと張りつめていた気がいくらかゆるんだ。

「さっきの募集の人だね?」
 彼は落ちつかない様子で早口になっている。
「はい」
 彼は私の肩をつかんで、なかへ招いた。
「ち、ちょっと待っててくれる? すぐ来るから!
 こっちに入って! すわってて!」
 私を玄関に近い三畳間へ押しこむと、さっさと奥の洋間に行ってしまった。
 私は緊張のかたまりとなって、その場に棒切れのように突っ立っていた。

 すると、男はこちらをふりかえってさけんだ。
「すわってて!」

 洋間ではテレビがついたままで、競馬中継が佳境をむかえていた。
 ラジオも同時にかけているので、その実況も重なって騒々しい。
 寿司職人は私のことなどおかまいなしに、
 「おいおい、8はこなくていいよ!」「まくれ、まくれ!」と、レースに夢中になっている。

 部屋にはもうひとり、ソファーにふんぞりかえった坊主頭の中年男がいた。
 私が彼を見ている気配に気づいたのか、半身をよじり、こちらを見た。
 そして、冷酷な視線で私を威嚇した。
 目が、これ以上オレを見るな、と語っていた。
 私はびくっとして、反射的に頭をさげた。
 彼は私を制圧したことに満足したのか、無表情でテレビにむきなおった。

 寿司職人はもし馬券がはずれたら、私にどんな態度をとるのだろう。
 腰をおろしながら防衛本能を働かせた。天井が低い室内は圧迫感があった。
 通された三畳間は畳がボロボロでささくれ立ち、直径50センチほどの
 コーヒー色の奇妙な染みが点在していた。

 茶色く薄汚れた座布団は、破れて綿が見えている。
 この部屋を夜、這いずりまわるゴキブリの大群が目に浮かぶ。
 腰を下ろすのも気がひけるその部屋は、これからの鬱屈した
 飯場生活を象徴しているようで、私は胸がしめつけられる思いがした。

          飯場生活1日目 15:00-15:30  ~ To be continued
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投稿者 Napori Takao : 08:34