2006年05月12日
グッバイ、サブちゃん
今日はエッセイを書きました。80年代の新宿のお話です。
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10年ほどまえ、新宿のサウナで初老の男が死んだ。
心臓麻痺を起こし、水風呂の底に沈んでいた。
水を大量に腹に吸い込んだせいで、
引き上げられたときは細身の体がカエルのようにふくらんでいたという。
男の名前は北島。下の名前はだれも知らなかったが、
仲のよかったUさん夫婦が、あの演歌歌手にちなんでサブちゃんと名づけた。
21歳の頃、大学を中退していた私は、
1年ほど新宿の西口でバーテンをやっていた。
庶民的な店でカクテル1杯350円、
ウィスキーのボトルもサントリーなら千円から三千円以内だった。
やがてチーフバーテンダーがホテルマンをめざして退職したので、
メインのカウンターをまかされるようになった。
サブちゃんは毎晩、まだ店が閑散としている午後6時過ぎにやってきた。
鉄工所風の作業服にジーンズ、薄い髪を隠すために茶色のハンチング、
小さなスポーツバッグ。
「ようっ」と小声で右手を上げ、笑顔を見せながら、
入口に近いカウンターの定位置に腰かける。
小声でぼそぼそと話すので、会話がよく聞きとれた記憶がない。
いつもはにかんだ笑みをうかべて静かに酒を飲んでいた。
店が大学生のコンパに大部分を占領され、
騒がしくなるのもたびたびだったがイヤな顔をしなかった。
サブちゃんが店でタバコを頼むときには、必ずバーテンにこう聞いた。
「ハイライトと……なんだっけ?」
「なんだっけ?」は、バーテンが吸う煙草の銘柄を聞いているのである。
当時、喫煙者だった私も2箱もらっていた。
悪い先輩がいた。
「サブちゃんと飲みに行ったことがあるんだよ。
もちろん全部むこうのおごりでさ。で、さんざん酔っ払わせて、
いっしょに風俗まで連れていってぜんぶ払わせたことがあったよ」
先輩は私とほかのバーテンを誘い、
サブちゃんのおごらせ会をふたたび企画した。
さすがに風俗まで悪知恵をまわさなかったが、
20代前半の私たちがめったに行けない店に連れて行き、おごらせてしまった。
彼は私たちにすれば父親よりも年が離れていて、話題もまったく合わない。
「北島さん、女のほうはどうなんですか?」
などと、だれかが軽口をたたいても、笑っているだけだ。
だれかがしゃべるのをただ聞いていた。
テーブルに置かれたキャンドルの炎に照らされた顔をみると、
それでも彼は楽しいように見えた。
終電がすぎたので、私たちは始発を待ち、
サブちゃんは「それじゃ、ね」と上機嫌で新宿のサウナへ消えていった。
私がバーテンをやめるとき、サブちゃんは餞別にタバコをくれた。
あとからやめた仲間もみんな、彼にタバコをもらい、旅立った。
私は放送作家の下積みをはじめ、それからは店に寄りつく余裕もなく、
出かけたのは3年ほどしてからだった。
カウンターが姿を消していた。
カウンターで酒を飲みたがる客が少なくなったからだという。
カラオケボックスの内装工事も進み、
もはや店にバーテンは必要なかった。
サブちゃんの消息を聞いてみた。
「ああ、来てるよ。常連のUさん夫婦を紹介したら、
すっかり仲良くなっていっしょに飲んでるよ」
そのサブちゃんが数年後、サウナで死んだ。
警察からUさんのもとに連絡が入ったとき、
Uさんは彼の住まいを知らなかった。もちろん私たちも。
亀有の小さなアパートに住んでいたのがわかった。
遺体はUさん夫婦によって引きとられ、葬儀、火葬が行われた。
無縁仏になる寸前、お姉さんと名乗る老婆が現れ、
遺骨は故郷の東北へ帰っていった。
何度も会ったのに、話した時間はごくわずかだった。
静かに酒を愛した男に、さようなら。
The End
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コメント
もう「さようなら」と告げることもできなくなった人に限って、別れ
の後でそう伝えたくなるんですよね。
生きている間にその人の死なんか考えられないから。
私も色々とありました。
某会員制blogの2006年01月11日の日記に書きましたがまだ自分ではすっきりしていません。
最近誰かに会う度にこっちから心の中でさようならと言う癖がつきました。
もちろん自分が先に遠くへ行くかも知れないと言う意味も大幅に含めてです。
また、死をもって自分の先を越されたくないという意味もあると思います。
きっとその人が永久にキャラを保って生きながらえているはずだ、そんな甘えに似た意識が自分にあるんだなと、
誰かの死に際して思う事があります。
投稿者 fuk : 2006年05月13日 12:01
2006年01月11日19:50の日記、読ませていただきました。
こちらはもう10年以上も前の話ですし、
占い師のお客さんの著作を代筆してたら、
なんだか妙に「サブちゃん」が気になったので、
書いたら喜んでくれるような気がして書きました。
イメージのなかの彼はニコニコ笑っていました。
でも、ほんとに書きたい人のことは書けないものですね。
投稿者 Napori Takao : 2006年05月13日 13:42